アレ・モン・ココ

フランス・ボルドーでワイン醸造学を専攻する理系博士学生です。乳酸菌の研究をしています。https://note.com/cclemonde_345

外国で育つということ

こんにちは、サヨコです。

コロナウイルスの感染拡大防止のため外出自粛が要請(?)されたのがきっかけでオンライン飲みをする機会がありまして、昨晩も飲んでいたらベッドに入ったのが朝の5時でした。

長時間飲み続けられるのは、きっと外出せずに体力が溜まっているおかげですね。

昨晩は、日本人の血が流れているけど生まれ育った国は外国という知り合い2人(以下E、Kと呼ぶ)と話していました。

日本人の両親を持ち日本で生まれ育った私が今まで考えたことのないような話が多かったので、4つのトピックについてブログに書き残したいと思います。

*多勢の方々を大雑把に一括りにする表現が多発します。不快感を抱かれる方は戻るボタンをそっと押しましょう。

 

 

昨晩話していた2人についてざっくり紹介すると、

E/ 日本で生まれ育った日本人の両親を持つ。アメリカで生まれ育ち、大学生の時に日本に1年間交換留学をした。現在日本で働いている。

K/ 日本人の母親とカンボジア人の父親を持つ。フランスで生まれ育ち、彼も大学生の時に日本に1年間交換留学をした。現在シンガポールで働いている。

 

 

 

親と出生地とルーツ

彼らは家の中で日本人の親と話すとき、ほぼ常に日本語で話すことを要求されたそうです。

英語もしくはフランス語で友達と話す機会が多い彼らの立場になって考えてみると、感情をのせて話しやすいのはもちろん現地の言葉です。

ただ2人の見解では、親が現地人のように外国語を完璧にマスター出来ずその土地に馴染めていなかったので、せめて子どもとは感情をスムーズに伝えられるよう母国語で話したがったのかもしれないと。

そのようなタイプの「外国人」の親を持つ子どもは、自分のルーツとしての日本を意識します。

しかし違うケースは当然あって、フランス人の父親と日本人の母親を持つ共通の知り合いがいるのですが、彼の母親はフランス語を完璧に会得しフランス人とも上手く溶け込めていて家の中でもフランス語で話します。

そんな彼は自分のルーツとしての日本を意識する機会が比較的少ないせいか、フランス人としての自己が大きいらしいです。

 

改めて自分のルーツを振り返ると、受け継いできた血も生まれ育った国も外国と混ざったことはなく日本人という疑いようのない帰属意識が根底にあるので、親と出生地のアイデンティティーへの影響について初めて気付かされました。

私は生まれも育ちも体を流れている血も日本のそれで、「日本」以外の国を自己のルーツとして考えたことはなく、国単位ではなく個人単位で自分が何者なのかを考えることが多かったので、出生地について考えるのも新鮮でした。

もちろんフランスに留学中はフランス人に囲まれたただの「外国人」で、日本とフランスの現地人のドメスティックな考え方の違いに適応していく、つまり「日本に住んでいる日本人」のような価値観を破壊して自分なりのものを作り直していくのに、EとKの考えは何かしらヒントになりそうでした。

 

 

 

「差別」に対する意識

幼少期からアジア系としてアメリカやフランスで過ごしてきた彼らは、「差別」は身近なトピックです。

アジア系外国人としてフランスに留学する私にとっても、縁のある話です。

EもKも小さい頃から差別的な言動をされたことがあり、今では慣れているのであまり気にしないと悲しい発言。

身近だからこそ当事者意識を持って話すし聞いてくれる2人ですが、あるときEは日本で働いていて日本人の差別に対する意識に違和感を持ったそうです。

その日は某テレビ番組(○ンビリーバボー)でアメリカの差別から発展した事件が再現されていました。

とある白人女性警官が勤務を終えてアパートに帰宅するとき、エレベーターから降りる階を間違えそれに気がつかないまま自宅と同じ位置のアパートのドアを開け黒人男性が出てきたのに驚き、銃でその男性を撃ってしまった事件など、いくつかのケースについて放送されていました。

Eがショックを受けたのは、それらのエピソードに対して番組のキャストが「こういうことがアメリカにはあるんですね〜」と他人事のようなコメントをしていたこと、日本人がアメリカに対して極端な印象を持ってしまう感じがしたことでした。

 

そこで私がふと「私の日本人の友達のほとんどは、差別問題や政治のような生活に直結するイメージを持ちにくい話をあまりしないと思うんだ」とEとKにボソッと言うと、彼らの日本人の親も同様に差別や政治の話から逃げてきたんだそうで。

EもKもその理由はわからないと言っていましたが、反対運動をすると就職や仕事に悪影響が出てくるリスクがあることが理由の1つなのではと考えています。

正解はわかりませんが、ただコロナで国民がてんやわんやしている間に某政権が法解釈を変える法案を無理矢理通そうとしていたのに対して、芸能人含め多くの国民がSNSで政権に対して意思表明をしたのは、今後の日本人の政治に対する意識を変える大きなきっかけになったのではないかと期待しています。

 

 

 

 

中途半端なアイデンティティ

今までにKは何回も「アジア系の見た目のせいでフランス人にもなりきれないし、日本語が話せても日本人になりきれない。」と話していました。

またKは、「日本語で話すときは簡潔な単語を使って遠回しな言い方はしないから、話は伝わるけど日本人のように日本語を操れない。もっと話せるようになりたいから日本語を勉強し始めた。」とも(ただし昨晩の会話は既に日本語90%)。

もし海外に出ずずっとフランスにいたらそれはそれで満足だったかもしれないけど、海外に出ると新しい発見があるから良いと思ったし、完全なフレンチにはなりたくなかったというKは、GIRI/HAJIというドラマに感化されて日本に移るのを計画中だそうです。

 

Eが交換留学中にとある先生に、「外国人が日本に留学する理由は大きく分けて2つ。1つは自分のルーツである日本に帰るため、もう1つはただの変人。」と言われたことが忘れられないそうです。

外国で生まれ育った日本人の血を持つ人たちは、長期休暇にしか行かない日本を故郷として実感したいのかもしれません。

「故郷」というものを私もフランスと日本を行き来してやっと意識するようになったのですが、日本を好きな故郷と思えるのは幸運です。

これについて夏目漱石芥川龍之介の作品などから話せることが沢山あるのですが、話が脱線しそうなので自重します。

 

 

 

自分探しの旅

EもKも彼らのルーツとしての日本を通してアイデンティティーを確立するため、日本と関連した仕事をして交友関係を続けています。

やり方は違っても私も同じようなことをしているなと感じました。

日本にずっと居続けることになんとなく違和感を感じて、フランスまで飛び出て日本と距離を置く生活をすると、自分なりのアイデンティティーを頑張って作っては壊しての日々です。

私が日本に戻ったところできっと私も典型的な日本人にはなりきれないかもしれないと思いますが、私には他のルーツはないので逃げ場もなし、頼れるのは自分だけです。

人間は皆孤独で私に想像もできない何かと戦いながら生きているんだなと、自分の視野を広げてくれたEとKとのオンライン飲みを終え、部屋の明かりを消すと太陽がおはようございますと顔を覗かせていました。