3「なんとかするしかないの」
こんにちは、サヨコです。
今までの記事の続きでやっと最終編です。
2020年3月16日(月)
L教授から書類は電子版で構わないからサインしたものをメールで送ってくれと言われ、残っていた書類の準備を出来るだけ進めた。
登録にはシステム上時間がかかるので完全には終わらなかったが、仕方がない。
気分が落ち込みながらも重い腰をあげ、部屋の掃除とパッキングを始めた。
フランス時間20時、マクロン大統領の会見があった。
重要な発表がされるということで、友人も皆10分くらい前からスタンバイしていた。
"Nous sommes en guerre." 「私たちは戦時下にある。」のフレーズの強烈さ。
「翌日正午から15日間外出を規制する。」
「同刻からEU圏内外の移動を30日間制限する。」
これを聞いた瞬間、日本に帰れないかもしれないという焦燥感に襲われる。
L教授やフランス人の友人らから明日のフライトについて心配された。
自分らだって大変な状況だったろうにと今になって思う。
再び号泣。
パリ発東京行きのフライトが13時過ぎだということを伝えると、L教授に大丈夫だと思うが航空会社に確認した方が良いと言われる。
ある友人には早めのフライトを取った方が安心だと言われ、便を調べてくれた。
しかし、その後数分と経たないうちに空席は無くなった。
こんな切羽詰まった状態でフランス語で話す余裕もないので、友人に私の代わりに航空会社に電話してもらったところ、予約したフライトはその時点でまだ欠航になっていないことを確認できた。
2020年3月17日(火)
朝早めに家を出る。
トラムやバスは人が少ない。
運転席は立ち入り禁止テープで隔離されていた。
Merignac空港に問題なく到着し、チェックインを済ませパリ発の便も確認した。
空港のベンチに腰かけ荷物を下ろそうとした瞬間にSMSを受信する。
嫌な予感を抱きながらメールを開くと、ボルドー→パリの便が約1時間遅れるとのこと。
シャルルドゴール空港でターミナルFからEに移動し出国審査もしなければならないトランジットに、45分の猶予しかなくなった。
あと数時間後に外出禁止命令が施行されるという状況、もしパリでトランジットに失敗したときの帰国する術が思いつかない。
係員マダムに相談すると、
「パリで乗り換えやすいように前の方に席を変更しましょう。大丈夫よ。今は皆にとって難しい状況。なんとかするしかないの。」
と励まされる。
不安な気持ちを抱えながらボルドー発の飛行機に乗る。
離陸直前になり、客室乗務員が乗客に電源の入った電子機器を持っていないか尋ね始めた。
なるほど焦げたような異臭がする。
トランジットの時間が無くなるとプレッシャーに感じたものの、しかしそのまま離陸を始めた飛行機。
初めて命の危険を感じたフライトだった。
パリに到着し、走る。
Nous sommes en guerre.である。
出国審査のゲートまで15分、そこから搭乗ゲートまで10分移動した。
シャルルドゴール空港は人が少なく免税店も閉まっていたので閑散としていた。
パリ発の飛行機になんとか乗り込み着席したのが離陸15分前。
2020年3月18日(水)
成田に無事到着。
スーツケースは翌日に成田に届くらしい。
流石France in the Air.をキーフレーズにしている会社だけある。
とにかく疲れが溜まっており、スーツケースが後から届くのなら良いわ、別に。という気分になった。
〜現在(2020年3月24日)
飛行機で咳をしている人が多く、自分が感染していない自信がないので自主的に外出は控えている。
毎朝体温を測っているけど、37度は超えていない。
とにかく年明けを振り返っても2〜3ヶ月で経験するもんじゃない。
もうこんなの懲り懲りだ。