アレ・モン・ココ

フランス・ボルドーでワイン醸造学を専攻する理系博士学生です。乳酸菌の研究をしています。https://note.com/cclemonde_345

今週のビデオ会議にて(2020年7月、大学と企業と)

こんにちは、サヨコです。

早いもので2020年の半年が終わりました。

もし「時間」が人の形をしていたら、きっと血も涙もないだろうからぶん殴りたくなりますね。

いや、むしろ新型コロナウイルスを殴って退治できたら本当に気持ちがいいんだろうな〜と妄想するくらいには頭が暑さにやられています。

 

頭がやられるといえば、先日のビデオ会議でとてもとてもとてもお顔の整った方とお話したので私の視覚がノックアウトでした。

フランスでの博士課程の研究プロジェクトについての話し合いだったのですが、フランスの大学と共同研究先のR&Dセンターの近況を伺ったのでお話ししようと思います。

 

 

 

ボルドー大学ISVVの研究室は?

先日の時点で教授、技術員、ポスドク、博士課程の学生は大学で研究活動を行えるようになりましたが、家でできる作業は基本的に在宅で行うようです。

先月中旬から大学での活動規制が段階的に緩まったものの、座学の授業は基本的にZoomで行われますし、研究室に行ける人数もまだ限られています。

先週博士学生の友達と話したとき、外出規制がかかって以来指導教官の教授と一度も顔を合わせていないと言っていました。

私は日本にいるので週一で教授(日本人の奥さんがいるのに日本語を話せない。とても優しくて緩いので学生の自制心が問われる。)とラボメイト(博士、ポスドク数回をイギリス、ドイツで経てボルドー修士に舞い戻り、今年の秋から技術員として一緒に研究するドイツ人。頭が良いし論文執筆も早くて同じ女性として憧れます。)とビデオ会議をするのですが、教授は先々週と昨日は教授室、先週は自宅(と思われる部屋)から、ラボメイトはずっと自宅から参加しているのを見ると、教授レベルの人間でも毎日大学にいるとは限らないのかもしれません。

今月から大学の外国人受け入れ規制を段階的に緩めたようで、現在私の受入承諾書を準備してもらっているところです。

 

 

 

フランスの企業R&Dセンターの様子は?

昨日は共同研究先のシャトーヘネシーのR&Dの方と顔合わせをしました。

教授、ラボメイト、私と合わせて4人でZoom会議をしたのですが、教授とその方とはすでに顔見知りで、お互い"tu"(砕けた二人称)を使っていたので良い関係性を持っていることが伺えました。

彼によると、R&Dセンターの研究所の活動は人数制限をつけながら再始動しており、いずれ外出規制前のように研究活動を行えるように準備しているとのこと。

(企業様なので広い敷地を有していることを思えば、活動再開の目処をつけやすいことは想像に難くありません。)

ワイナリーはブドウ畑を常に管理しなければならないので、いつも通り活動しているそうです。

あとは9月からの研究プロジェクトに向けて、3年間の研究計画の大まかな確認やワインのサンプルの集め方、ラボメイトの知り合いが勤める研究機関と新しくコネクションを作ることなどについて話しました。

ヘネシーの方がとてもハンサムだった上に画面越しで研究に対する情熱がひしひしと伝わってきたので、目が忙しくて話し合いどころではなかったのと、3年で彼の期待するような研究成果を出せるのだろうかと不安にもなりました。

 

 

 

私はいつボルドーに戻れるの?

先述したとおり、現在ボルドー大学で受入承諾書(convention d'accueil)を作成してもらっているところです。

この書類はパスポート更新とビザ申請のために必要な上、原本でないといけないので早くしてくれ〜〜〜と時々催促のメールを送っています。

研究契約が9月スタートなので、私が9月までにボルドーに戻ろうが戻れなかろうがそこから3年間カウントされます。

先月からフランス領事館が活動再開したので、ビザを申請するなら今がチャンスでしょう。

covid-19の第二波が日本あるいはフランスを襲う前になんとかボルドーに戻りたいところです。

 

余談ですが、3月にフランスから日本に戻るときMyTripでトルコ航空、opodoでエールフランスの往復便を購入していました。

当時状況が状況で切羽詰まっており、MyTripの問い合わせ窓口に電話が繋がらずフランスの外出規制前に帰国できる便に早く乗りたいと焦り、opodoで時期が若干ダブったフライトを予約していました。

エールフランスは直前まで航空会社のサイトでフライトの時間変更ができたので融通もきき、そちらで帰国しました。

ボルドーに戻るフライトの分は今年11月末までのオープンチケットになったので9月前に変更するつもりですが、いつ戻れるかは書類を準備しているボルドー大学、パスポートを更新する日本のお役所、ビザ審査をするフランス領事館のお仕事次第です。

一方MyTripはメールで何回もやりとりをした挙句返金できないと言われてしまったので、最近できたと噂の電話窓口に電話したところ返金手続きを進めてくれました(まだ返金可能か確定ではない)。

 

研究はもちろんそれ以外も不安なことが多くありますが、covid-19をはじめ色々大変だった今年の上半期を振り返ると博士3年間の厄落としが済んだとしか思えないので、これからが楽しみです。

外国で育つということ

こんにちは、サヨコです。

コロナウイルスの感染拡大防止のため外出自粛が要請(?)されたのがきっかけでオンライン飲みをする機会がありまして、昨晩も飲んでいたらベッドに入ったのが朝の5時でした。

長時間飲み続けられるのは、きっと外出せずに体力が溜まっているおかげですね。

昨晩は、日本人の血が流れているけど生まれ育った国は外国という知り合い2人(以下E、Kと呼ぶ)と話していました。

日本人の両親を持ち日本で生まれ育った私が今まで考えたことのないような話が多かったので、4つのトピックについてブログに書き残したいと思います。

*多勢の方々を大雑把に一括りにする表現が多発します。不快感を抱かれる方は戻るボタンをそっと押しましょう。

 

 

昨晩話していた2人についてざっくり紹介すると、

E/ 日本で生まれ育った日本人の両親を持つ。アメリカで生まれ育ち、大学生の時に日本に1年間交換留学をした。現在日本で働いている。

K/ 日本人の母親とカンボジア人の父親を持つ。フランスで生まれ育ち、彼も大学生の時に日本に1年間交換留学をした。現在シンガポールで働いている。

 

 

 

親と出生地とルーツ

彼らは家の中で日本人の親と話すとき、ほぼ常に日本語で話すことを要求されたそうです。

英語もしくはフランス語で友達と話す機会が多い彼らの立場になって考えてみると、感情をのせて話しやすいのはもちろん現地の言葉です。

ただ2人の見解では、親が現地人のように外国語を完璧にマスター出来ずその土地に馴染めていなかったので、せめて子どもとは感情をスムーズに伝えられるよう母国語で話したがったのかもしれないと。

そのようなタイプの「外国人」の親を持つ子どもは、自分のルーツとしての日本を意識します。

しかし違うケースは当然あって、フランス人の父親と日本人の母親を持つ共通の知り合いがいるのですが、彼の母親はフランス語を完璧に会得しフランス人とも上手く溶け込めていて家の中でもフランス語で話します。

そんな彼は自分のルーツとしての日本を意識する機会が比較的少ないせいか、フランス人としての自己が大きいらしいです。

 

改めて自分のルーツを振り返ると、受け継いできた血も生まれ育った国も外国と混ざったことはなく日本人という疑いようのない帰属意識が根底にあるので、親と出生地のアイデンティティーへの影響について初めて気付かされました。

私は生まれも育ちも体を流れている血も日本のそれで、「日本」以外の国を自己のルーツとして考えたことはなく、国単位ではなく個人単位で自分が何者なのかを考えることが多かったので、出生地について考えるのも新鮮でした。

もちろんフランスに留学中はフランス人に囲まれたただの「外国人」で、日本とフランスの現地人のドメスティックな考え方の違いに適応していく、つまり「日本に住んでいる日本人」のような価値観を破壊して自分なりのものを作り直していくのに、EとKの考えは何かしらヒントになりそうでした。

 

 

 

「差別」に対する意識

幼少期からアジア系としてアメリカやフランスで過ごしてきた彼らは、「差別」は身近なトピックです。

アジア系外国人としてフランスに留学する私にとっても、縁のある話です。

EもKも小さい頃から差別的な言動をされたことがあり、今では慣れているのであまり気にしないと悲しい発言。

身近だからこそ当事者意識を持って話すし聞いてくれる2人ですが、あるときEは日本で働いていて日本人の差別に対する意識に違和感を持ったそうです。

その日は某テレビ番組(○ンビリーバボー)でアメリカの差別から発展した事件が再現されていました。

とある白人女性警官が勤務を終えてアパートに帰宅するとき、エレベーターから降りる階を間違えそれに気がつかないまま自宅と同じ位置のアパートのドアを開け黒人男性が出てきたのに驚き、銃でその男性を撃ってしまった事件など、いくつかのケースについて放送されていました。

Eがショックを受けたのは、それらのエピソードに対して番組のキャストが「こういうことがアメリカにはあるんですね〜」と他人事のようなコメントをしていたこと、日本人がアメリカに対して極端な印象を持ってしまう感じがしたことでした。

 

そこで私がふと「私の日本人の友達のほとんどは、差別問題や政治のような生活に直結するイメージを持ちにくい話をあまりしないと思うんだ」とEとKにボソッと言うと、彼らの日本人の親も同様に差別や政治の話から逃げてきたんだそうで。

EもKもその理由はわからないと言っていましたが、反対運動をすると就職や仕事に悪影響が出てくるリスクがあることが理由の1つなのではと考えています。

正解はわかりませんが、ただコロナで国民がてんやわんやしている間に某政権が法解釈を変える法案を無理矢理通そうとしていたのに対して、芸能人含め多くの国民がSNSで政権に対して意思表明をしたのは、今後の日本人の政治に対する意識を変える大きなきっかけになったのではないかと期待しています。

 

 

 

 

中途半端なアイデンティティ

今までにKは何回も「アジア系の見た目のせいでフランス人にもなりきれないし、日本語が話せても日本人になりきれない。」と話していました。

またKは、「日本語で話すときは簡潔な単語を使って遠回しな言い方はしないから、話は伝わるけど日本人のように日本語を操れない。もっと話せるようになりたいから日本語を勉強し始めた。」とも(ただし昨晩の会話は既に日本語90%)。

もし海外に出ずずっとフランスにいたらそれはそれで満足だったかもしれないけど、海外に出ると新しい発見があるから良いと思ったし、完全なフレンチにはなりたくなかったというKは、GIRI/HAJIというドラマに感化されて日本に移るのを計画中だそうです。

 

Eが交換留学中にとある先生に、「外国人が日本に留学する理由は大きく分けて2つ。1つは自分のルーツである日本に帰るため、もう1つはただの変人。」と言われたことが忘れられないそうです。

外国で生まれ育った日本人の血を持つ人たちは、長期休暇にしか行かない日本を故郷として実感したいのかもしれません。

「故郷」というものを私もフランスと日本を行き来してやっと意識するようになったのですが、日本を好きな故郷と思えるのは幸運です。

これについて夏目漱石芥川龍之介の作品などから話せることが沢山あるのですが、話が脱線しそうなので自重します。

 

 

 

自分探しの旅

EもKも彼らのルーツとしての日本を通してアイデンティティーを確立するため、日本と関連した仕事をして交友関係を続けています。

やり方は違っても私も同じようなことをしているなと感じました。

日本にずっと居続けることになんとなく違和感を感じて、フランスまで飛び出て日本と距離を置く生活をすると、自分なりのアイデンティティーを頑張って作っては壊しての日々です。

私が日本に戻ったところできっと私も典型的な日本人にはなりきれないかもしれないと思いますが、私には他のルーツはないので逃げ場もなし、頼れるのは自分だけです。

人間は皆孤独で私に想像もできない何かと戦いながら生きているんだなと、自分の視野を広げてくれたEとKとのオンライン飲みを終え、部屋の明かりを消すと太陽がおはようございますと顔を覗かせていました。

作画と研究と

こんにちは、サヨコです。

ここ最近の東京は暑くなったかと思いきやいきなり肌寒くなり、おまけに時期的に梅雨に入りそうですし天候が変わり続けて飽きません。

頭が痛くなりそうです。

 

現在フランスの大学に一応在籍してはいますが、博士の研究が正式にスタートするのは今年の9月からということで実質無職のようです。

学費を払ったのに大学に登校、そもそもフランスにあるアパートにすら戻れていない状況で、俗に言うテレワークというのでしょうか、教授とラボメートでzoom会議をして論文執筆に取り組んでいます。

博士研究の給料をもらっていないせいなのか、はたまた研究の動機が具体的に定まっていないせいなのか、どうも最初の一歩を踏み出すモチベーションを上手にマネージメント出来ていません(ただ実家で怠惰になっているだけな気もします)。

どうも、意識低い系留学生です。

 

論文データを考察するためにパソコンを開いては布団に横たわり(暖かく包み込んでくれるソレはもはや犯罪者)、現実逃避に趣味の作曲やお絵かきまで手を伸ばしている始末です。

こういうとき多趣味なのが恨まれます。

お絵かきといえば、フランスのワイナリーを経営する友人にワインラベルのデザインを依頼されたので(ボランティアです)、指定された枠組みの中で自由に作画させてもらったのですが、自分の生み出した作品が世に出回る事実というのはなんだか気持ちが良いです。

しかも、大層な言い方にはなりますがその絵が商品として市場に出回り見ず知らずの人たちの目に入るので、自分一人の力だけでは手の及ばない範囲にまで少しでもインパクトを残せるというのも初めての感覚です。

今まで私がお絵かきしてきたのは、何かしらの感情が高まったものを紙に吐き出してSNSに残し、当時自分がどういった感情を抱きどういう選択を取ったのかを振り返る手段でしかなく、あくまで自分のためというのが主で他人様に何か伝えるためということはありませんでした。

ですから、作画を通して他人様に働きかけるという行為は初めてで、それはクセになりそうなほど難しくもあり楽しくもありました。

 

この感覚は研究行為に似通ったところがあると思います。

自分の興味で進めた研究を論文という作品に仕上げ、ジャーナルを通して世界の研究者と共有し人類の科学的知見に影響を及ぼすという流れは、先ほど自分が作画で成し遂げたことと規模は違えど似ているように感じます。

 

というわけで、面倒臭いという気持ちをねじ伏せ、論文執筆に精を出そうと思います。

頑張ります。

noteに登録してみました

こんにちは、サヨコです。

本来今頃は論文執筆で忙しくないといけないのですが、noteに登録してみました。

 

note.com

 

このブログよりはゆるく、雑多なことを書いてみようかなと。

息抜き、みたいな位置付けです。

留学しようか悩んでいる人たちや、現在でも過去でも海外に挑戦している(していた)人たちと交流できると嬉しいな〜と思ってます。

もちろんドメスティックに活躍している方々とも接点を持てたら、きっと収拾つかなくなってもっと刺激的なんだろうな〜〜〜

インスピレーション・カムズ・オブ・ワーキング

こんにちは、サヨコです。

新型コロナのせいで相変わらず引きこもりの生活ですが、家にいる分自分と向き合って色々考える時間が取れます。

(今までもそういう時間はたっぷり取れていましたが笑)

今までずっと「生き方」について時間があれば考えてきたと自負していて、その時の状況によってブレブレの時もありますが最終的にはなんやかんや落ち着きます。

目下考え込んでいるのは「仕事の方向性」についてです。

 

 

まず最終的に何を求めるのか

一見すると矛盾した題ですが、最終的なゴールを設定するのは私にとってとても重要です。

その目標さえ見えていれば途中問題が起きても方向転換したり、新しい知見を得るための寄り道をしたり柔軟に対応できるからです。

ということで、ここ最近は私の人生をかけた最終目標について考えていました。

今のところ私の求めるものって『楽しい人生を送ってお墓に入りたい』なんです。

すごく利己的でいて、同時に他人も巻き込んで社会的に利益をもたらし得るとも思っています。

実はこれについては海外留学よりずっと前の大学1年生や2年生あたりから変わっていないので、私の人生の軸とも言えるのではないかな、と。

最も当時は「バンドって超楽しいじゃん!ステージ上で私の作った曲を演奏すると強烈に生きてるって感じがする!将来はミュージシャンになる!」なんて若々しい単純思考でした。

これは仕事に対しても求めていることで、自分の人生の中で相当の時間を費やすものですから対価として「自分が楽しめるような、そして私が私として生きていくための何か」を欲しいと思っています。

そこで私が選んだのが化粧品やお酒などの「娯楽」物でした。

 

 

希望する「生き方」と折り合いをつけるために

留学するくらいだから何か修行のためといった高尚な目的を持っていると思うかもしれませんが実はそんなことはなくて、特にお手本になるような夢も持っていません。

でも外に出ず日本に居続けたら絶対どこかで爆発するに違いないという確信はありました。

天邪鬼が極まっただけかもしれませんし、今でも理由はわかりません。

とにかく海外に行くためには現地の人と対等かそれ以上の力を持っていないと何も始められないと思い、仕事として日本で大学院まで学び続けた「研究」を選びました。

肩書きは学生です。

次に私の手持ちの微生物学の知識で戦えそうな研究内容を選びました。

それが化粧品(抗菌作用とか)とワイン(発酵とか)でした。

特にワインについてはテイスティングなどの前知識がゼロで、よく研究だけやってきた私のような人間を受け入れてくれたなと今になって強く思います(関係者ありがとう)。

 

 

ワイン界の新入りとして何もかも中途半端

ワインの世界に足を踏み入れると、自分の研究内容はもちろんそれ以外の知識や経験があった方が良いことが多くあります(他の業界でも同じかもしれません)。

まずワインを科学の視点から見るにあたり、そのベクトルの先を設定するためにはワインの消費者や生産者の立場になって何の情報に需要があるのかを知らないといけません。

この点は純粋な科学、例えば基礎研究のようにすぐには役立たないけど人類の知見を広げる役割を果たしているものとは異なり、ワイン界では応用研究の方がすぐに問題解決に役立つので好まれます。

日本の大学で基礎研究をやってきた身としては、このギャップに戸惑いました。

次に日本ワインを知る機会があったのですが、ここでもテイスティングやら醸造やらの知識がないと生産者と話にならないことがあり、研究内容以外の知識が必要なんだと痛烈に自覚させられました。

つまり研究技術があるというだけでは、ワインの世界では全く通用しないのです。

 

 

美味しいワインが飲みたい

ワイン界に入って2年も立たない若輩者ですが、醸造者とソムリエ、そして研究者はワインと消費者の間の架け橋としてそれぞれ大きな役割を果たしていることはわかりました。

過去に将来は研究者になりたいのか、それとも醸造の道に進むのかと聞かれたことがありますが、現時点では研究者の方が現実的かな〜と考えています(博士が終わる直前の自分にもう一度聞きたい)。

何れにせよ目的が立てられていないと何も考えられないので、「美味しくて感動的なワインを飲みたい、作りたい」というゴールを設定しました(急ごしらえ)。

 

 

将来日本に戻るのか、海外に残るのか

将来的に拠点をどこにするかは3年後の状況次第で正直未定です。

「美味しいワイン」を求める舞台を世界にするなら、研究の道や醸造の道どちらに進んでも海外に残った方が良いかもしれません。

というのも、研究面では日本とフランスを比較するとどうしてもフランスの方が最先端で軍杯が上がりますし、醸造の点から見ても歴史が圧倒的に違うのです。

ただ日本のワイン界の研究・醸造は発達途上な印象を受けますし、ポテンシャルも感じます。

究極的には日本と海外どちらのワインを好きになるのか、というところが指針の一つになるのではないかと思います。

さて視点を仕事から「生き方」に移しますが、長い時間を費やすことって何者にも変えがたい貴重な行為だと思っています。

それが日本でも海外でも、それなりの時間を過ごせばそれぞれ価値のある何かを築き上げます。

私生活の面で拠点を考えると、フランスで2年強過ごしたせいかもしかしたら日本も悪くないんじゃないかと。

フランスにいると私が日本について何も知らないことを知りましたし、フランスの嫌な部分も見えてきました。

留学前と比べると、「海外に出て挑戦したい」という欲は学位を取得してある程度満たされましたし、語学の壁や生活の勝手がわからない不自由さにとって代わるくらいの海外への憧れと日本への嫌悪感は薄くなりました。

冒頭で話した『楽しい人生を送ってお墓に入りたい』まで引いて考えてみると、日本7割フランス3割くらいで生活するのが理想かな〜なんて考えています。

 

 

結局なんだかフラフラしている感じ

ボルドー留学は博士課程を修了することを目標に奔走してきました。

ただアメリカのトランプ大統領新型コロナウイルスのせいで、スタート地点にやっと立てたのにまだスタートをきれません。

非常にもどかしくやるせない気持ちでしたが、アメリカの大統領もウイルスも私の一存で彼らの行動を決められません。

どんなにやる気があってもどうしようもないことがあるんだと、大学受験のようにやり直しのきかない残酷なことが人生では起こるんだなと、年明けはかなり落ち込んでいました。

その時期は本当に血迷ったことばかり考えていましたが、今はもう何も強くは望まないからどうか楽しく人生を全うさせて欲しいと願ってばかりです。

将来の活動拠点を具体的に考えられないのはこの挫折のせいかもしれません。

負けん気を見せる元気も出ず、流れに身を任せています。

その点、数年間仕事をしてキャリアを積んでから海外留学に挑戦する人たちの方が覚悟を決めて責任感も強いので、このような逆境にも強いのかもしれません。

 

 

それでも選択に後悔はない

「何を選んでも正解なんだと思う」と友人に言われたことがあります。

私がボルドー留学前に修士編入することを相談したときのことです。

本当にその通りで、曲がりなりにも自分の選択に責任を持って生きている実感はありますし、留学に挑戦したことだけは誇りに思っています。

そして去年までと年明けからとで考え方が変わった部分があり、3ヶ月未満という短い期間ではありましたが誰かと恋愛して深い関係性を構築していくことは精神的に大きなエネルギーになるんだと知りました。

留学生という身なので恋愛に関して諦めていましたが、こればかりはワガママになっても良いんじゃないかと自分を許せる(?)ようにもなりました。

ほら、フランスがコロナで外出規制を始めた初日にひとりぼっちで帰国するような心細い思いを自分にさせ続けるなんてあまりにも可哀想じゃないですか。

キャリアの面ではあまり進展できていませんが、私生活の面では考え方を大きくアップデートさせることができました。

 

 

 

 

結局自分を変えるためには選択して行動するしかないのでしょうか。

将来の自分がうまく立ち直ってキラキラしているといいなあ。

 

 

いつしか語学学校で10歳くらい年上のドイツ人が写真に収めたくらいえらく気に入った文章が、私のクリアファイルに書いてあるのを思い出しました。

 

Inspiration

comes

of working.

 

Imagination is more important than knowledge.

 

The purpose of human life is to serve and to show compassion and the will to help others. Creativity is the ability to introduce order into the randomness of nature. Life is an exciting business and most exciting when it is lived for others. You cannot do much about the length of your life, but you can do a lot about its depth and width.

 

誰の言葉なんでしょうかね?

私生活とキャリアのバランスを考えながら

こんにちは、サヨコです。

先月はプライベートの方で色々ありまして精神的にボロボロでしたが、なんとか前向きになってきました。

大変な時は大変、少し立ち止まるくらい誰にも怒られやしません。

最近はパン・デザート作りがマイブームで、研究より直接的に人に役に立っている感じが好きです。

 

さて来月2020年5月からボルドー大学に戻って博士課程を始める予定でしたが、新型コロナの影響で大学は閉鎖していますし、そもそもフランス領事館が業務縮小をしているためビザ申請ができません。

というわけでドクター進学は数ヶ月延期になりました。

待っている間は貯金を崩し、親のすねかじりをしながら待機です(辛い)。

せっかく家でパソコン作業や本を読む時間がたっぷり取れますから、教授とは論文執筆をしようと話し合っています。

初めての論文執筆なので進め方が本当にわからないし、教授は遠いフランスで時差もありますし、サクサク進む気は全くしませんがドイツ人のラボメイトと協力しながらぼちぼち頑張りたいと思います。

将来もし論文がアクセプトされたらブログで報告します(^^)

 

 

【余談】

在宅でお小遣い稼ぎ出来ないかな〜オンライン家庭教師するかな〜とぼんやり考えていましたが、何も思いつかないので家でひっそり引きこもりしていようと思いました。

3「なんとかするしかないの」

こんにちは、サヨコです。

今までの記事の続きでやっと最終編です。

cclemonde.hatenablog.jp

cclemonde.hatenablog.jp

 

 

  

2020年3月16日(月)

L教授から書類は電子版で構わないからサインしたものをメールで送ってくれと言われ、残っていた書類の準備を出来るだけ進めた。

登録にはシステム上時間がかかるので完全には終わらなかったが、仕方がない。

気分が落ち込みながらも重い腰をあげ、部屋の掃除とパッキングを始めた。

 

フランス時間20時、マクロン大統領の会見があった。

重要な発表がされるということで、友人も皆10分くらい前からスタンバイしていた。

 

www.youtube.com

 

"Nous sommes en guerre." 「私たちは戦時下にある。」のフレーズの強烈さ。

「翌日正午から15日間外出を規制する。」

「同刻からEU圏内外の移動を30日間制限する。」

これを聞いた瞬間、日本に帰れないかもしれないという焦燥感に襲われる。

L教授やフランス人の友人らから明日のフライトについて心配された。

自分らだって大変な状況だったろうにと今になって思う。

再び号泣。

パリ発東京行きのフライトが13時過ぎだということを伝えると、L教授に大丈夫だと思うが航空会社に確認した方が良いと言われる。

ある友人には早めのフライトを取った方が安心だと言われ、便を調べてくれた。

しかし、その後数分と経たないうちに空席は無くなった。

こんな切羽詰まった状態でフランス語で話す余裕もないので、友人に私の代わりに航空会社に電話してもらったところ、予約したフライトはその時点でまだ欠航になっていないことを確認できた。

 

 

2020年3月17日(火)

朝早めに家を出る。

トラムやバスは人が少ない。

運転席は立ち入り禁止テープで隔離されていた。

 

Merignac空港に問題なく到着し、チェックインを済ませパリ発の便も確認した。

空港のベンチに腰かけ荷物を下ろそうとした瞬間にSMSを受信する。

嫌な予感を抱きながらメールを開くと、ボルドー→パリの便が約1時間遅れるとのこと。

シャルルドゴール空港でターミナルFからEに移動し出国審査もしなければならないトランジットに、45分の猶予しかなくなった。

あと数時間後に外出禁止命令が施行されるという状況、もしパリでトランジットに失敗したときの帰国する術が思いつかない。

係員マダムに相談すると、

「パリで乗り換えやすいように前の方に席を変更しましょう。大丈夫よ。今は皆にとって難しい状況。なんとかするしかないの。」

と励まされる。

 

不安な気持ちを抱えながらボルドー発の飛行機に乗る。

離陸直前になり、客室乗務員が乗客に電源の入った電子機器を持っていないか尋ね始めた。

なるほど焦げたような異臭がする。

トランジットの時間が無くなるとプレッシャーに感じたものの、しかしそのまま離陸を始めた飛行機。

初めて命の危険を感じたフライトだった。

 

パリに到着し、走る。

Nous sommes en guerre.である。

出国審査のゲートまで15分、そこから搭乗ゲートまで10分移動した。

シャルルドゴール空港は人が少なく免税店も閉まっていたので閑散としていた。

パリ発の飛行機になんとか乗り込み着席したのが離陸15分前。

 

 

2020年3月18日(水)

成田に無事到着。

スーツケースは翌日に成田に届くらしい。

流石France in the Air.をキーフレーズにしている会社だけある。

とにかく疲れが溜まっており、スーツケースが後から届くのなら良いわ、別に。という気分になった。

 

 

〜現在(2020年3月24日)

飛行機で咳をしている人が多く、自分が感染していない自信がないので自主的に外出は控えている。

毎朝体温を測っているけど、37度は超えていない。

 

とにかく年明けを振り返っても2〜3ヶ月で経験するもんじゃない。

もうこんなの懲り懲りだ。